騒音を吸収する超獣 サウンドギラー 出現!!

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筆者:秋廣泰生
ライター/映像演出家。元・円谷プロ製作部所属。1980年代後半より、ウルトラマンシリーズをはじめ、円谷プロ作品の映像商品の制作や、出版物、CDの構成執筆を手掛ける。VHS時代の再編集ビデオの殆どで編集・演出を担当。テレビ番組演出は『ウルトラマンボーイのウルころ』『ウルトラマン列伝』など。

神出鬼没で得体のしれない雰囲気を放つデザインの超獣が仲間入り!

 〈大怪獣シリーズ〉のラインナップに新たに加わるのは『ウルトラマンA』第36話「この超獣10,000ホーン?」に登場する…もとい、 “出現” する、騒音超獣サウンドギラーです!

 物語は、マフラーの改造などを施して、凄まじい爆音を轟かせるオートバイで我が物顔に市中を暴走する、その名の通りの暴走族グループの若者たちが主軸となって展開していきます。

 暴走族の乗るオートバイは、雷鳴の様な耳をつんざく爆音を発することから、かつては「カミナリ族」という呼ばれ方をしていた時期もあり、劇中や予告編では双方の名で呼ばれています。

 脚本は『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jr.の復讐」を手掛けた長坂秀佳さん。同時期には東映のテレビドラマ『刑事くん』や『人造人間キカイダー』、東映動画 (当時) の『魔法使いチャッピー』などで腕を振るっていました。

 本作の着想は、まさに暴走族の騒音に憤りを感じていたからとうかがったことがあるのですが、そうした心情は物語の序盤で、夜間警戒中だったタックパンサーの北斗・美川両隊員と住民とのやり取りにあらわれているのが感じられます。

 そんな一方で、暴走する彼らなりにも事情があり、それを察して彼らを見捨てない北斗星司がいて、あるいは改心して爆音をやめる筈が、爆音改造を施したばかりのオートバイ屋の店主には呆れられるなど、人間模様を様々な角度から捉えた脚本は、第2期ウルトラマンシリーズのドラマを支え続けていった筧正典監督によって、北斗星司の人物像を描いた物語としてもバランスよく成立しており、まさに職人芸をみる思いです。

 そして、事件の発端となる超獣サウンドギラーについてです。
 特殊技術を務めたのは、もはや説明不要の川北絋一特技監督。川北監督は本編演出の筧正典監督と共に、同時制作の第37話「友情の星よ永遠に」も手掛けており、人間にとって利便さや魅力が上昇していた頃の乗り物が引き起こす “騒音” が超獣出現の発端となる物語が第36話・第37話と、連続して物語の題材となっていました。

 これは、当時の騒音公害に関する情勢や社会世論などを、子どもながらに知っている身として、非常に興味深い出来事に感じられるのですが、逆に言えば、近似した題材を、どの様に個々のドラマであり特撮として成立させていくかの工夫が随所に感じられて、これもまた興味深いポイントです。

 サウンドギラーの場合、騒音のある所に瞬間的に現れては消えてしまう神出鬼没の設定から、実景との合成カットが最初の見せ場になりました。

 騒音のある所とは、社会の授業で習った〔第2次産業〕が盛んな場所であって、起伏の無い平坦な地である筈がありません。大都会や工場地帯、建築現場など、種々の人工建造物が複雑に入り組んでいる場所ですから、そこに現れたサウンドギラーを表現するとなると、合成スタッフ陣による実景と特撮との境目のマスキング処理作業も単純な切り合わせでは済まない、かなりの丁寧さが求められます。その精緻さは現在の高画質化した大型モニターでの鑑賞に相応しく、デジタルリマスター化された映像によって、数十年を経て更なる真価を発揮するかの様です。

 そして特撮セットに於いても、サウンドギラーは騒音の発生源である特定の場所に出現する設定ですから、建造物のミニチュアセットも一点豪華主義的に作り込まれていて、ここも特撮的に見逃せないポイントです。
 Aパート終了間際、サウンドギラーが工場の建物を突き破って姿を現しますが、特撮セットでは中心的な建物だけでなく、すぐそばを流れる川までもミニチュアワークで構築されている点は注目です。

 川までフレーム内に収める引きの画作りは、脚本に描かれた危機の本質が超獣の出現や工場の破壊のみならず、我々の生活圏と隣り合わせに存在する工業一帯の危機であることを的確に捉えた、脚本を深く読み込んだ美術設計で、Bパートへの興味関心を高める上でも見事な感性の発露だったと言えるでしょう。

 また、サウンドギラーの演出という点では、効果音も聞き逃せません。
サウンドギラーが騒音に反応することを明確化するため、本作では劇伴音楽の使用頻度を減らし、随所で環境音を主軸にした音響設計が行われていきます。東宝効果集団による実感度の高い市中の環境音ライブラリーが、人間が生存している場の雰囲気を音で再構築しており、それによって本作のドラマは、現実感が高められていきます。

 工場の操業音が前面に出された中でTAC機の攻撃が行われるシーンは、まさに本作ならではの演出です。
 それは劇伴音楽のバックアップが無くともドラマチックな特撮シーンが描けるという、特撮スタッフの熟練の技が披露されていった数分間にほかなりません。

 もっとも、その反動でサウンドギラーは、これまでの超獣に比べて脅威を表現するための劇伴音楽の使用が減ってしまったという見方もあるのですが、そこを一気に払拭する様にエースとサウンドギラーの激闘を彩ったのが、主題歌「ウルトラマンエース」のカヴァー・ヴァージョンでした。

 このヴァージョンはオリジナル主題歌よりも軽快なアップテンポでアレンジされているのが特徴で、リアリティを優先してきた音響設計にひと区切りを付け、歌曲で快調な抑揚を持たせていく切り換えのパワーを秘めていたのは確かでしょう。 

 結果としてこの主題歌は、サウンドギラーを象徴する音楽として多くの方々の記憶に残っているという事実もまた、音響設計のトータルバランスの賜物だと、筆者は強く感じています。

 そんな独特の演出の数々に支えられたサウンドギラーは、果たしてどの様に生み出されてきたのか──ここからは筆者の考察を展開していきたいと思います。

 まず、“音の超獣化” というテーマで考えだされたであろうサウンドギラーの姿は、昭和47年当時で5才の筆者の目にも不思議なものに映りましたが、何よりあの頃、テレビに児童誌に所狭しとひしめいていた新怪獣・新怪人の何れにも似ていない独自の存在感を放っていると感じたのも確かでした。

 そして後年、円谷プロの編集室で実際にウルトラマンシリーズをはじめとする16ミリフィルムの放送用原盤に触れてみた時に「サウンドギラーの両足や腹部に縦に走る黒いギザギザは、フィルムのサウンドトラックではないのか?」という発見をするに至ります。

 映像のデジタル化が進んだ現在、フィルムに触れる機会は殆んど無いとは思うのですが…現在ならば、音楽編集や作曲を行うPCのモニター上に、横方向に進む音の波形を見ることが出来ると思います。つまり、その波形を縦にしたのがフィルムのサウンドトラックにあたるもので、ひとコマずつ連続していくフィルムの横に、波形がずーっと付随して続いていると想像していただければと思います。

 もっとも、正確には放送用フィルムのサウンドトラックはサウンドギラーの様な黒のギザギザではなく白いギザギザで、ここに光が透過することで記録音声が再生される仕組みになっています。

 この様な仕様でフィルムに音声が記録されたものを〈光学式サウンドトラック〉と呼び、件のギザギザは〈モジュレーション〉と呼ばれます。サウンドギラーの黒いギザギザは、言わば視覚化した音を身にまとった状態なのではないかと、筆者は捉えています。
 音をモチーフにした超獣デザインは無理難題の様でいて、実は映画の世界では、ごく身近なところに音を目に見える状態にしたものが溢れていた…と、考えられそうです。

 とは言え、それ以外の部位となると、音に関係する何かが連想されるのは頭頂部のバラボラアンテナ風の部位くらいなのですが、むしろ胸部から頭部にかけての意匠は、胸筋や顔面を抽象化して、誰もが顔であろうと思える部位を構築したものではないかと感じられてきます。

 “音の超獣化” とは、この場合、音の擬人化という意味あいもあり、その結果としてサウンドギラーは格闘戦に必要不可欠なだけでなく、表情の無い中で喜怒哀楽を表現していく一助を担う四肢を備えている訳ですから、やはり頭部に思えてくる部位の存在もまた、サウンドギラーをなにがしかの意思を持った存在として描いていく上で重要だと言えるでしょう。

 ところでサウンドギラーと言えば、不可思議な上にも不可思議な形の尻尾があることでも知られています。ウルトラ怪獣や円谷怪獣はもとより、ありとあらゆる怪獣たちの中にあっても類例が見当たらない…そんな奇妙な尻尾です。

 筆者はこれまで尻尾のデザインについて、音波などをモニター上に波形化するオシロスコープに見られるグチャグチャッとしたダマの様な波形の抽象化?と勝手に想像していたのですが、改めて尻尾を振り返ってみると、現在では録音スタジオの入り口に必ず設置されている防音扉のハンドルや、その内部構造の様にも見えてきています。だとすれば、あの尻尾はサウンドギラーの音の “栓” か何かなのでしょうか?

 もちろん尻尾の正体が何であれ、サウンドギラー自体が非凡なのですから、やはり尻尾も非凡であるべきでしょう。また、尻尾があることでエースとの大格闘時に揺れたり弾んだりして、それだけで意思のあるサウンドギラー本体とは別の動きを見せる映像になり得るという、言ってみればアイドルのステージ衣装のフリルやリボンなどと同様の効果を生じさせるはたらきが期待された部位とも捉えられるのではないでしょうか。

 さて、前述の “栓” という考え方ですが、これについては左右につり上がったサングラスの様な頭部の角状もまた、ある種の “栓” ではないかと思うことがあります。
 脚部から腹部にかけてのギザギザがモジュレーションだとしたら、上に延びるどこかに区切りを設けなくては、音は果てしなく上方へ延び、デザイン上でもとりとめがなくなってしまいかねません。

 これは、頭部あるいは視覚部とおぼしき部位に無数に点在する色とりどりの光点を表現する電飾を仕込むため、FRP (強化プラスチック) で成形されたであろう “頭部” の硬質感と、ボディを形成する軟質感との違いから、より “栓” の様に思えてくるのかもしれませんが──そこで、こんな視点で考えてみるのはどうでしょう?

 実はサウンドギラーのデザインを担当した髙橋 (井口) 昭彦さんは『帰ってきたウルトラマン』第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」に登場する、光怪獣プリズ魔をデザインされていて、奇しくも光をプリズ魔という姿形に、音をサウンドギラーという姿形に具体化してみせたという、ウルトラ怪獣デザイン史にあって唯一無二の体験を経ている美術デザイナーなのです。

 そうした視点から両者を見比べると、頭部とおぼしき部位が、あたかもハンドル付きの硬質な栓の様にまとめられていることに気が付きます。光も音も無限の極みで、おいそれと人間が扱えるものではないからこそ “怪獣” として、ひとつの形に着地させる何らかの手立てが必要となった──と言うよりは、奇妙な形の中にも、人間がどこか不安を取り去って落ち着ける何かが形に求められた、その結果なのではないでしょうか。

 ここに筆者は『帰ってきたウルトラマン』や『ウルトラマンA』だからこそ、挑み、実現することが可能になった抽象領域の具現化と、それを “怪獣” として魅力的に表現していく特撮美術の発想の自由さを感じずにいられません。

 また、プリズ魔は一種の静物と化すことで個性の創出に成功している一方で、サウンドギラーには作劇上、静物化は求められていませんから、プリズ魔とは決定的に異なる四肢という要素が備わっているわけですが、逆の見方をすれば、サウンドギラーも、実は静物要素を多分に含んでいるという捉え方も可能でしょう。つまり、静物要素を取り払うためにある四肢という考え方です。

 その指にあたる部位は足も手も外側へ広がり、モジュレーションの上方へ延びていくベクトルとは違う、別の動線を作り出しています。
 開いた両腕は仁王立ちや威嚇の様相であり、なんとも柔らかな立体曲線を描いている両足の接地面も、その大きさ故に直立するには両足をハの字に開く必要があるなど、総じてサウンドギラーの静物化を積極的に否定してきているかの様です。

 今回発表された〈大怪獣シリーズ〉のサウンドギラーは、そうした基本がしっかり押さえられていて、筆者は非常に好感を抱いています。

 サウンドギラーは脅威をバックアップする劇伴音楽が多用されなかったことや、爪も牙も鋭い眼光も無く、超獣にしては悪意や憎らしさを感じない側面があるのも確かで、そんなところから現在は、ゆるキャラ的なニュアンスでも愛され、その気持ちが結実したガレージキットなどを見掛けることも多々あったのですが…〈大怪獣シリーズ〉のサウンドギラーは、なにより写実性を重視し、サウンドギラーの実体や実像に忠実に迫る造形となっています。

 原型を担当されたのは、円盤生物ブラックドームも担当の増川信二さんで、ことサウンドギラーの様なエポックメイキング度数の高いウルトラ怪獣には、造形に脚色の視点や解釈を挟まない、増川さんならではのリアリティ表現こそが重要であり、まず『ウルトラマンA』のスタッフが創り出したありのままを写し取る様に形にする、そのための人選もまた実に見事だと感じているところです。

 超獣を語り、その全体像を捉える上で重要な立ち位置にいるサウンドギラーの〈大怪獣シリーズ〉ならではの確かなアプローチは、実際に手に取ってみて様々な角度から観察したり、手もとに携えながら映像を鑑賞することで、抽象美術としての回答を様々に読み取っていく楽しみを味わえるのではないかと思っています。

 来るべき〈大怪獣シリーズ〉騒音超獣サウンドギラーの “出現” に、どうぞご期待ください!

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